考察:子を守る日本の法律
日本の法律では、
未成年者を暴力的な親、DVから守る法的手段が少ない。
特に、深刻なケースに至る前段階で、だ。
アメリカでは、早い段階で子を親から隔離する。親が子に近づくことを禁止する措置がとられることも。子は家で通常通り過ごす。
加害者である親こそが自宅で生活してはいけないとの考え方は合理的だ。
何の落ち度もない子こそ、家で普通の日常を送ることを保護すべきなのだ。
子をシェルターに保護して慣れない環境での非日常な生活を被害者である子に強いるのは実に酷である。
私は某法律事務所で働いた経験から、片親による虐待が疑われるとして、児相に保護された兄弟が、両親が虐待の有無を長い間争ったために、通っていた学校を転校させられ、親とも離れて何年も暮らさなければならないケースを知った。争いをやめない両親に対して、そのエゴに腹立たしさと怒りを覚えた。だが、今思えば、その両親に対して、子の利益を最優先する観点から、助言や選択肢を与えるなどのサポートが足りなかったのかもしれない。
虐待の結果、障害や傷害致死の罪に問われた場合でも、一定の保護責任を果たしたことを当然の前提として、他人間の同罪よりも刑が軽くされているのではないか。
むしろ、立場上優位にある大人が子にした行為の責任は重く捉えられるべきだ。
刑法上も、親が子にした行為を新たな規定を設けて、特に厳しく罰するべきなのだ。
業務上〇〇罪と同じく、身分犯として特に重い責任を課すべきだと思う。
1. 独立の行政機関として、児相の指導監督省庁としての児童保護局を創設するべき。
児童保護の現場である児相を強力に支援し、必要な法整備をサポートするために。
2. 虐待を予防し禁じる実効性のある(刑罰を伴う)法整備を拡充すべき。
3. 児相に調査権限を持たせて、親権停止を裁判所に求めるなど、幅広い保護手段をとれるようにすべき。
4. 児相や学校に弁護士を配置すべき。
5. 専門家の組織横断的連携を推進すべき。
同時に全国のケースワーカーが経験と知識を共有すべき。
6. 予防的に、親に対する子育てコーチングを
身近に気軽に利用できる環境を整備すべき。
7. メディアでもっと取り上げるべき。
参考
https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM5K6D25M5KUHBI02V.html
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20180610-00086269/
なんていい名前
被告の裁判が行われている。
涙無くして裁判の記事を読むことができない。
あまりにも酷くて知りたくない、とすら思う!
コロナでメディアは重要な社会的問題を十分に報道できていないと感じる。
被告はどうして死に至るほどの激しい虐待をしたのか、
どうして誰も止められなかったのか。
被害児童の名前は、心愛さん。
なんて素敵な名前なのでしょう。
彼女が絶命した日は、心を愛する、心で愛する、心から愛する日として、
大人と決して対等にはなれない子供を含む、
全ての弱者を思いやる日として、
多くの人に認知される日にするべきだ。
心愛さん、余りにも苦しくて、神様から戻っておいで、って言われたのかな。
何もしてあげられずに、ごめんなさい。
せめてはあなたの短い人生を、受けた痛みを、
これからの私の人生と、世の中のために
役立つ方法を、一生かけて模索します。
会って、ただ優しく抱きしめてあげたかった。
ごめんね。
週末のディナー
親戚から借りていた家を返すことになり、
最近の週末はほとんど片付けばかりだった。
で、やっと片付いたー!!
最後は荷物を整理するどころか
出すだけ出してとりあえず詰めて
持って帰って来るのが精一杯でしたが…
でももぅ車で行き来しなくていい❗️
あー、本当に今まで重荷だった。
物が多いとホント大変。
長く生きると書類や物が溜まるのよね…
お金が貯まるといいんだけどね…
さて、手伝ってくれた夫と
お疲れ様ディナーをします。
ホッと一息!
明日からまた頑張るぞー‼︎
子育て:親が子供に手をあげるということ
変なプレッシャーを自分の親(母)から受けて、
あるまじき「おしりぺんぺん」を5回も続けて
イチコにしてしまった。
いつまでも起きていて、これこれしたら寝る、
という約束を何回も破ることに対して、堪忍
袋の緒が切れた、という感じになり。
暴力に流れやすい、流れるのはかんたん、と
いうことを身をもって感じた。
そんな恐怖支配でよいことは何もない。
わかっていても、イージーだからそうする。
結果がでるから、とかではない。
相手が無抵抗なのに乗じて手をあげるのだ。
自分や第三者の身体・生命・財産に許された
「正当防衛」以外に、暴力を正当化できる論理はない。
身をもって、手をあげる側の「奢った」心理を体験した。
深く反省すると同時に、その衝動をすごく理解できた。
視点を変えて・・・
世の中の暴力は、親が子に当たり前のようにする「脅しや暴力に
よって言うことを聞かせる」という恐怖支配に深く起因すると思う。
暴力に訴えなければ解決できないとすれば、それは自分の能力・影響力の限界なのだ。
その限界を受け入れて、長い目でみること、その結果を忍耐強く見守るということ。
語りかけ続けるということ。それしかない。
その場は無力に感じるかもしれないけど、暴力に訴えて、その場はコントロール(恐怖支配)したとしても、本質的にはそれも無力であることには変わりない。
なぜなら、それは自発的な、自律的な行動や生き方とは間逆の、一時しのぎの、生産性のきわめて低いコントロールでしかないからだ。
そしてもっと悪いことは、暴力は暴力の連鎖を作り上げ、暴力によってその連鎖を切ることはできない、ということ。無力以上に害悪でしかない。
戦争をなくして平和な世の中を作るということは、親が子供に手をあげないこと。
シンプルだけど難しいことを当たり前のように努力する社会にすること。
私がその第一歩。ここに誓います。