子育て:親が子供に手をあげるということ

変なプレッシャーを自分の親(母)から受けて、

あるまじき「おしりぺんぺん」を5回も続けて

イチコにしてしまった。

いつまでも起きていて、これこれしたら寝る、

という約束を何回も破ることに対して、堪忍

袋の緒が切れた、という感じになり。

暴力に流れやすい、流れるのはかんたん、と

いうことを身をもって感じた。

そんな恐怖支配でよいことは何もない。

わかっていても、イージーだからそうする。

結果がでるから、とかではない。

相手が無抵抗なのに乗じて手をあげるのだ。

自分や第三者の身体・生命・財産に許された

「正当防衛」以外に、暴力を正当化できる論理はない。

 

身をもって、手をあげる側の「奢った」心理を体験した。

深く反省すると同時に、その衝動をすごく理解できた。

 

視点を変えて・・・

世の中の暴力は、親が子に当たり前のようにする「脅しや暴力に

よって言うことを聞かせる」という恐怖支配に深く起因すると思う。

 

暴力に訴えなければ解決できないとすれば、それは自分の能力・影響力の限界なのだ。

その限界を受け入れて、長い目でみること、その結果を忍耐強く見守るということ。

語りかけ続けるということ。それしかない。

その場は無力に感じるかもしれないけど、暴力に訴えて、その場はコントロール(恐怖支配)したとしても、本質的にはそれも無力であることには変わりない。

なぜなら、それは自発的な、自律的な行動や生き方とは間逆の、一時しのぎの、生産性のきわめて低いコントロールでしかないからだ。

 

そしてもっと悪いことは、暴力は暴力の連鎖を作り上げ、暴力によってその連鎖を切ることはできない、ということ。無力以上に害悪でしかない。

 

戦争をなくして平和な世の中を作るということは、親が子供に手をあげないこと。

シンプルだけど難しいことを当たり前のように努力する社会にすること。

私がその第一歩。ここに誓います。